
江戸時代になると江戸幕府により江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道に
9つの宿場(蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿、深谷宿、本庄宿)、
日光街道(奥州街道)に6つの宿場(草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿)が置かれた。
五街道に準ずる脇往還は、県内では川越往還、川越児玉往還、日光脇往還、日光御成街道、関宿往還、秩父往還、
秩父甲州往還が整備されました。
川越藩や岩槻藩・忍藩といった城下町が発展します。他に岡部藩があり、特に川越は江戸北方の防衛拠点として
親藩・譜代の重臣が治め、「小江戸」と呼ばれ栄えました。
明治時代の1883年から85年にかけて、秩父地方で松方財政の不況の中借金に苦しむ負債農民が困民党を
結成して秩父事件とよばれる騒擾を起こします。
1871年、廃藩置県を受けて、埼玉県(現在の中央地域・東部地域に相当)入間県
(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)が誕生します。
埼玉県の県庁所在地は当初岩槻町とされたが、旧浦和県庁を流用する形で浦和宿となりました。
入間県の県庁所在地は川越町に置かれていました。
1873年、入間県が群馬県と合併し熊谷県となります。
熊谷県の県庁所在地は熊谷町に設置されます。
1876年、熊谷県は分割され旧入間県域が埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立するのです。